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第97 - 余が優婆索迦に更生したる所由

余は昨年支那に遊んで、親しくかの地僧侶の射利的経営と、商估(しょうこ)的生活とを見て、我国の僧侶界にもこれと類似の者多きを思い、次(つい)で原語及び蔵訳の戒律部を研究するに及んで、愕然として自らの不注意に驚き、慄然(りつぜん)としてその不明よりして、虚偽の生活に陥(おちい)れることを痛悔し、以て断然現代相応の真実生活に、住せんことを求めたのであった。

併(しか)しながら因襲の力は恐ろしいもので、余は三十五年来着けていた、麻の法衣と袈裟を脱ぎ去るに忍びなかった。

何とかして比丘僧生活を継続したいと思った。

 

併(しか)しながら却って自ら省察するに、自分は従来比丘僧ではなかったのである。

二百五十の具足戒は完全に持てなかったのである。

 

然らば今後改めてそれ等を総べて持つことが出来るかと云うに、それは全く不可能である。

不殺生、不偸盗(ちゅうとう)、不妄語の三大重戒及び不飲酒、不非時食、不食肉等の至要(しよう)なる戒法は護持することが出来ても、性欲全く打勝つことが出来難くして時々犯戒の危険に陥らんとした。

また全く持って居らなかった戒律、受蓄金銀学処、離三衣学処等であった。

 

その上釈尊の讖言(しんげん)によれば、現代は全く無比丘の時代である。

されば比丘僧としての生活は時代逆行である。

然るにただ旧習に随(したが)って着ける法衣は虚偽の法衣である。欺瞞の装飾である。

この虚偽欺瞞の法衣を脱ぐことを大に喜ばねばならぬと考えて、唾沫(だまつ)の如くに捨て去る事が出来たのであった。

 

なおまた現代は精神的に行き詰っている。

安心の問題にも行き詰まっている。

この難問題に対して、社会の人々個々が自ら勉めて立つ所の仏教本来の主義によらずして、徒(いたず)らに神の助けや、仏の絶対他力などという空言では、救われない時代となった。

 

これを着実なる根本的実行を以て、人々個々に仏土を荘厳にするウパーサカ仏教の興起を見なければ、社会や、国家は道徳的に自滅の外はない事を悟った。

ここにおいて自分は、従来の無知の罪障を真心に懺悔して、将来社会と共に道徳的に生きんがために、ウパーサカ僧として更生した所以である。

 

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