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第96 - 第二祖より第四祖に至る

第二祖 文殊師利法王子は釈尊滅後において、弥勒普賢の二大菩薩と共にウパーサカ菩薩乗の三蔵を結集せられたことは、先にヤーセル史の典文を挙げて説明した如くである。

その後文殊菩薩は支那に行って五台山を開きその帰路ヒマーラヤ山中ネパール国を創開し、龍樹大士出生の時には、現れて同大士に中論の原義を授け、また般若菩薩乗を広説し、諸種の仏典を布衍創開せられて、諸仏の師母たる実を現わし、在家の菩薩として山を開き国を創始し、以て無数の衆生に利益を与えられた。

ウパーサカ仏教中釈尊の衣鉢を伝えられた大功績者として、ウパーサカ仏教の第二祖に帰敬する所以である。

 

第三祖 弥勒菩薩の伝は既に挙げた如く、在俗菩薩の一人であって釈尊に次(つい)で仏陀とならるべき一生補処の徳を具えておられる。

既に説いた如く文殊菩薩と共に、ウパーサカ菩薩乗の三蔵を結集せられたウパーサカ仏教に対する大功績者である。

そうして文殊の後に無著大士に対して成仏の第一要件としては徹底的大慈悲心の実行である事を示され、菩薩行を実行によって示されたのであった。

されば慈悲心実行を最要とするウパーサカ仏教根本の教義を、著しく実現せられたウパーサカとして、弥勒大菩薩をウパーサカ仏教の第三祖に帰敬する所以である。

 

第四祖 聖徳太子はウパーサカで一生を過ごされた方であるが、我国に諸種の文化を起されたのみならず、国民の精神指導者として、仏教中多くの経典について、特に三経を択ばれたるが如きは、ウパーサカ仏教宣揚の趣旨を窺知(きち)することが出来る。

本来の大乗仏教を卑小に了解する比丘僧を戒飭(かいちょく)する為に、ウパーサカなる菩薩的見解を以て説明した所の維摩経を講じ、またウパーシカなる勝鬘夫人が十六期誓や三大立願を以て、仏教婦女子菩薩道を説かれた所の勝鬘経を宮中に講じて、推古天皇をしてウパーシカ菩薩道の女徳を、発揚せしむるに至りたるが如き、また法華経を講じて、三乗即一乗の原理と、一乗即三乗の方便義とを明かにし、以て比丘出家の浄行も、遂に広大無辺に徳を積む所のウパーサカ菩薩道を修めて、万徳円満の仏陀を成ずるにあることを明示した所を講明せられた。

 

聖徳太子が、これ等の三経を屡々(しばしば)講ぜられたる真実の主旨に随(したが)えば、吾人は少くともウパーサカ、ウパーシカとして、時代に相応最適の仏教宣揚に努めなければならなかったのであった。

然るにこの最も貴重なる主旨は太子著の三経義疏の文字の間に残るのみであって、吾人は古来の因襲に捉えられて、比丘仏教の型や名から超脱することが出来なかった。

 

けれども実際我国の仏教はウパーサカ仏教であって、これが開祖聖徳太子もウパーサカであらせられた。

日域大乗相応地の標語も、太子自ら実行せられた大乗、即ちウパーサカ菩薩道のことであった。

然るにその後継者である吾人の祖先及び吾人は、この菩薩道即ちウパーサカ仏教を忘れていたのであった。

これは聖徳太子が身を以て示された実行的親教を、無視した一大不注意であって、また一大誤謬であったと云わねばならぬ。

 

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