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第85 - 魔僧が虚偽生活の害毒

何故に仏世尊は僧を以て三宝の一に入れたかと云うに、僧は仏の現在或は現在せざる時に当って、仏の教法を実行して他の人々に示し、現実に仏徳を表し法の様式を実現するものであるから、実際においては実に尊いものである。

故に僧を以て宝即ち稀有最勝の一に入れたものである。

 

そうして比丘僧の資格は前節に示した如く、具足戒を完全に持たねばならぬことである。

その中でも特に四重禁戒は、その一つを犯しても直ちに僧団から放逐せられる重罪で断頭罪である。

また酒を飲むことは在家の者にすら禁ぜられたものである。出家にして酒を飲む者は勿論出家の資格はないのである。この戒律は在家では五戒の終わりにあって、出家では九十波逸底迦法の第七十九条に出ている。

またこの法の第四十六条には、軍中過二宿学処とあって、出家は軍中にあって二夜以上宿することは許されないのである。この戒律は現今我国の国民皆兵主義とは相容れないものである。吾人が比丘僧にして兵となれば、二宿は愚か二年も三年も軍営に過ごさねばならぬのである。

現代の我国では比丘僧としてかかる戒法を持つ事は不可能である。

また十三僧残の触女学処の如きは、もしこれを犯した者が懺悔しようとしても、我国ではその懺悔を受ける比丘の僧団がない。懺悔が出来ないから、比丘僧としての生命は全滅するの外はないのである。

 

我国には現今仏陀の親定せられた規制に基いて、建てられた僧園は一つもない。

随(したが)って真実の比丘僧は一人もいないのである。もし自ら比丘僧であると想う者があれば、それは確かに無知に基く自詐自欺である。

女淫を行う者は固(もと)より比丘僧ではない。彼等が法衣の上にある首は疾(と)くに断たれてないのであって、ただ詐欺の首が載っているのみである。

 

前節に飲酒は在家にさえ厳禁したものである事を明(あきらか)にしたが、我国では名僧と云われる弘法大師さえ、御遺誡の中に高野山は寒いから山居の比丘に飲酒する事を許すと誌(しる)された(或は云う、これは後世の破戒僧が入れたもの)。随(したが)って真言宗の僧侶には公然と平気で酒を飲む。非常な豪飲家が多い。

日蓮上人もまたなかなかの大酒家であった。そうしてその法孫に豪飲家の多いのは当然のことである。

ただに真言日蓮のみでない。各宗の高僧、善知識、上人、法主、管長と云われる者で、酒を般若湯と誤魔化して飲まない者は幾人あるであろうか。

否(い)な無慚無愧で蓄妻蓄妾して公然飲酒するのを誇りとして居る者すらある。

 

中には多少道心のある者もあって四五の戒律を厳持するであろう。

併(しか)しかの二百五十の具足戒に至っては、総べてを完全に実行する者は一人もないと断言して誤りであるまいと信ずる。

 

比丘がなければ法を実行するものがない。法の実行者がなければ仏の教化がないこととなる。仏の教化がなければ仏教が我国にないのである。

全く無仏教である。ただあるものは仏の美名を騙る精神的詐欺師の集団である。

仏教の教化などないのが当然である。

 

寺院殿堂は仏教の名と荘厳とで飾る悪魔の道場である。

自詐自欺をなす団体の住処(すみか)である。

美名を以て虚偽生活の害毒を流す源泉である。

今なお国家や社会はその美名虚偽に欺かれて、高位高爵や、広大なる土地や、堂々たる建築物や、諸種の特権を与えて、かかる悪魔を優遇して居る所を見ると、国家も社会も精神的には全く盲目でありまた低能であることが知れる。

 

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