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第84 - 僧の語義

僧とは、梵語に僧伽(サンガハ) Sangha とある語の前綴(まえつづり)だけを取って用いたものである。

僧伽(サンガハ)の意義は衆団とか、和合衆とか、或は単に衆とも訳するものである。

 

そうしてその衆団の義は四人以上の集(あつま)りを意味するものであって、決して一人や二人を僧と云うべきではない。

但し現今は一人の比丘に対しても僧と云う語を用いているけれども、それは便宜上の事であって、語義としては適当せないのである。

 

僧が衆団として和合する所以は、第一その目的は解脱を得ることに一致している。これを真理の和合と云う。

また事実の和合に六つある。

このように事の上でも理の上でも、同一平等で和合する衆団を僧即ち僧伽と云うのである。

 

この僧伽に四種類あってこれを四衆と云って居る。

即ち巴利(パーリ)語に比丘(ビック)、比丘尼(ビックニー)、優婆塞(ウパーサカ)、優婆夷(ウパーシカ)である。

梵語に

である。

 

この四衆は仏世尊の直弟子であって、何(いず)れも僧伽(サンガハ)と云われるものである。

現今僧と云えば円頂(えんちょう)法衣の者に限るように、思う者もあるけれども、僧に出家と在家との二種あることは、四衆即ち四僧伽の名が示している。

されば僧と云う語の本義は出家在家の和合衆を云うのである。

 

けれども現今は出家のみに用いられている。

今後は在家にも仏弟子の僧あることを、その本義の通りに明かにせねばならぬ。

何故ならば現代は出家の僧は一人もない時代であるけれども、在家の僧ウパーサカ、ウパーシカがあるによって、僧団は存在していることを確知せねばならぬからである。

 

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