ここで注意すべきことは、かの菩薩戒として名高い、梵網経の十重四十八軽戒を、ここに菩薩戒として用いない理由についてである。
この梵網経菩薩心地戒品に説いてある戒律は、ウパーサカ菩薩の戒律のみでなくて、菩薩比丘の戒律もある。
即ちかの不淫の如き、また別請を受くるを許さざる如き、また僧坊において客僧の接待に関する規定、頭陀行十八物の規定等の如きは、比丘僧でなければ必要のない箇条である。
それと同時にウパーサカでなければ必要のない箇条で、酤酒(こしゅ)戒の如き酒を売ってはならぬ戒律がある。
またこの戒を受ける事の主となる者は、ウパーサカ、ウパーシカで上は国王大臣より下は媱男媱女に至るまで、一切含まれている。
さればこの経の戒法には出家戒と在家戒とが混在している。
このようなことは仏在世の経律にはなかったことであって、即ち在家と出家と混同して同一の戒を受け、同一の布薩(ウポーサタ、浄住)の座に列するが如きは、仏在世には絶対になかったことである。
それであるから、在家の戒法として用うることが出来ない故に取らないのである。
またこの梵網経は、支那で出来たものでないかと思われる。この経が梵典にないことは勿論、蔵訳にも見当らないのである。
何(いず)れにしてもこの経は鳩摩羅什婆(クマーラジーヴァ)が自ら梵文によって訳したものではないのであって、彼自身の心から誦出したものであることは、その序文において明かに示している。
それは以下の如くである。
この序文に万行深信の宅に起るとある。
その深信の宅とは何を指せるものかと云うに、鳩摩羅什婆の心を云ったものであろう。
何故ならばその文の下に直ちに、これを以て天竺法師鳩摩羅什婆はこの品を誦持して、以て心首となすと云う。即ち深信の宅はこの品を誦持する上にそれを心首とする鳩摩羅什婆であることを示しているからである。
またこの序文中に一度も訳出したと云う語がなくして、鳩摩羅什婆はこの品を誦出し、弟子道融等はこれを書したことが出ているのみである。
これによっても梵文なくして、什師の心から出ていることを自ら証明しているのである。
このように支那において什師の口から初めて誦出せられたので、乃ち後世の作出であることは、この序文とその内容とによって証明せられる。
それは原始仏教に対して、外道と同様に二乗という語を用いて、
とあるからである。
かくの如く全く声聞を外道の悪見と同一視するまでに、下って来た後代の作出であることが証明せられるからである。
また正当に釈尊時代には用うることの出来なかったことを規定している。
即ち在家と出家と別々の制戒で、別々に受けるものを混同して同一律中に置いてある。
それを伝教大師が菩薩戒として戒壇まで立てられたことは至大なる誤謬を犯したものであった。
この第十の法雲地は、西蔵仏教一般の所伝によれば、この地を以て一生補処(いっしょうふしょ)の菩薩のいる所として、別に漢訳所伝の如く十地の上に等覚を設けないのである。
されば現に一生補処で等覚位の菩薩とせられる弥勒菩薩は、梵語にDasha bhūmishvara、訳 第十地の自在者とある。
西蔵訳もSa bchupai dbang chhug、訳 第十地の自在者とあって、漢訳の等覚位を第十地に摂(せっ)していることが解かる。
元来等覚は梵語にSambodhi 正覚及び等覚の義で、同じく仏位であるから菩薩位に摂するは不当である。
同じ原語を正覚と訳して上位に置き、等覚と訳して下位に置くの理由は毫もないのである。
等覚の等は三世十方の諸仏の覚(さとり)に等しいと云う義で、仏仏同等(仏と仏と同等)の義である。それを菩薩位としたことは、大方広部の経典が余りに布衍し過ぎた発展振りを示したものである。
また菩薩の十地で修行の説明出来るものを、わざわざ五十一位にした事は、これまた要なき広分別であった。
されば人口に膾炙する五十一位説を取らないで、十地説を用いた所以である。
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