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第52 - 業力に関する諸種の法則

各自業と共同業

前説説明の如き各自一個が作(さく)せる業で、各自が個々にその結果を受けるものを各自業と云い、或は友人間の共同、または一家族の共同、また会社全員の共同、一村、一町、一府、一県、一党、一派等の共同、または一国家としての共同で行った業は、それぞれのその団体だけにその結果を共同的に受けるものである。

積善の家に余慶ありなどと云うことは、一家族の共同業について云ったものである。

 

併(しか)し実際に人間は共同作業をしながらも、各自特別の事を行うことがある。

それはその共同中の労作の大小性質多少巧拙等によって、一会社における社長と給仕(きゅうじ)とはその支給にもボーナスにも、非常の等差あるようなものである。

さればこの法則は共同なる平等中にも差別あり、差別中にも共同的平等性あるなど、微細の点にまで厳密精確に行われているのである。

 

業の因果律に対する疑義

世に現われておる諸種の事実は、甚(はなは)だ複雑に錯綜して行われているので、単純に原因と結果との関係を見ることは、非常に困難なる問題である。

されば世人はよく以下の如き疑問を起すのである。

 

それは彼等が人事的現象を見るに、極悪非道の人があって、彼は他人の財産を横領し、或は密に他人を毒殺し、或は窮死せしめたなどと、あらゆる悪を行いながら法網を脱れて、却(かえ)って甚(はなは)だ幸福に一生を過す者がある。

然るに他の一方には、学識も才徳もあり、その上正義を実行する人が、却って世に不遇であって、一生不幸で貧困病難等に苦む者がある。

これ等の事実を見れば、因果律は信ずるに足らないではないかと。

 

なる程疑惑するような事実もある。

しかしそれ等の事実もまた、毫も因果律から離れておらぬことを、以下に挙げる法則の説明によって知るべきである。

 

業相続の永久不滅

前説明の如く時間は無始無終であると同時に空間は無辺無際である。

その間に存在する業力即ち吾人をして今日あらしめておるものは、無始より相続して来たもので、無終に永続するものである。

いわゆる業力不滅である。この永久不滅の業力は、因果の法則に随(したが)って、それが現象に変化を顕わしつつ相続しておるものである。

 

そうして業に対する因果律は、自作自受がその性律であるから、その性律の特性として各自の個別を相続せしめるものである。

ここにおいて、吾人の生前における生も、死後における生の存在も、合理的に承認せねばならぬこととなる。

先(ま)ずこの了解が出来れば、以下に説明する三時業についての了解も容易である。

 

順現受業

この法則は現生に行(おこな)った善悪無記業の結果を現生に受けることを云うのである。

譬(たと)えば一年を一生とすれば今年蒔いた米を今年収穫するが如きものである。

この生に行った善悪等の業因に由(より)て、この生の中にそれ等の結果である幸福、或は苦痛などを受けることを云うのである。

諸(もろもろ)の羯磨(カルマ)の中でこの種の業に属するもの、甚(はなは)だ多いと仏は示された。

けれども一切の業の結果を、総べて受け尽くして了(しま)うものではない。次生に次生にと業は相続して、その結果を受けるものである。

 

順次受業

この法はこの生で作った善悪業の結果を、次生で受けることを云うのである。

これは恰(あたか)も本年蒔いた麦の種子で、来年その結果を収めるようなものである。

この点から見ると、吾人が現生に受けて居る結果で現生においてそれが原因となるべき業のない時は、それが結果の原因は、前世或は前々世にあったものと知ることが出来る。

 

これに依ると前の論者の疑問も、判明することとなるのである。

それは今受けておる苦楽の果報は前世或は前々世の原因の然らしめたものである。

そうして今現に為しつつある善悪の業は、未だ果の結ぶ時が来ないのであるから、善人が苦患(くげん)を受けたり、悪人が幸福を受けたりする理由が判明するのである。

 

順後受業

この法は第二生以後に結果を受ける業を云うのであって、随分遅く結果する業である。

恰(あたか)も植えてから十数年後に果を結ぶ橙(だいだい)の如きものである。

 

以上三時業は、その業の結果に遅速はあっても、必ず一定して果を結ぶものである。

それゆえにこの三時業を総称して定業(じょうごう)と云う。

 

この定業に反して或業は何時(いつ)その果を結ぶか、判然と定らないものがある。

またそれが果して果を結ぶか或は結ばないのかすらも、常人には判知出来ない程の業がある。

これ等を不定業と云うのである。

 

以上述べた所の因果律について、なお微細に能く考察するならば、宇宙に行われる一切の現象、人事万般の変化に至るまで、秩序整然、因果歴然と行われて、一糸乱れず明々白々と現前して、毫も吾人を欺かないことを知ることが出来る。

 

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