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第4 - 一仏乗における小乗大乗分裂の起源

印度初期の仏教分裂は、出家仏教において彼等の実行的細目の相異において分離したのであって、その奉ずる経典に至(いたっ)ては、何れも四阿含経であって同一であった。

哲理上から異なる説明の起ったのは、仏滅後約九百年の後訶梨跋摩(ハリヴァルマ)が出で成実論を造って、空義を主張した時からであった。

 

それに比べると在家仏教の相伝者は、出家僧侶が仏の真義を誤解して消極的とし涅槃那(ニルバーナ)を以て灰身滅智都絶虚無の義に解釈し、彼等の行為は益々自利に傾き、世界を利益することの絶無なるを見て、彼等を利己一偏の外道と同一なりとして、彼等を呼ぶに小乗者の名を以てし、遂にはその奉ずる経典までも小乗経と称するに至ったのであった。

そして、仏陀の真義を発揮するために、自分等所伝の経典や要義などを、大に布衍して大方等などと名づけて世に発表した。これが抑(そもそ)も後世大乗と称して小乗仏教と区別することの起りであった。

勿論(もちろん)後に説明する如く、仏在世の時は大乗のみであって小乗はなかったのであった。

仏滅後、三四百年代、ウパーサカ中文珠(マンジュ)弥勒普賢等の大菩薩が出で、頻(しき)りに大方広部の経律論を広述して、当時の出家僧侶を覚醒するために、仏在世の大声聞衆に仮託して、彼等を弾斥指導する多くの方等経典等を作成したのであった。

仏滅後四五百年の頃龍樹菩薩が出で、出家仏教即ち声聞縁覚乗と在家仏教即ち菩薩乗とを統一して、綜合的中道論を著(あら)わし、以て仏陀自身の中道哲理を復(ふたた)び世に明(あきら)かならしめたのであった。

 

仏滅後約九百年無著(むじゃく)、世親(せしん)の兄弟の二大菩薩が世に出で、唯識学派を起した。この唯識学は表面主として解深密教に依て建てられて居るけれども、その内部の真要は般若の空観中道を主とする。またこの学の根拠となって居る弥勒等の著である明解荘厳論は、般若部の大解釈である。

さればこの学も現今唯識宗として立て居るけれども、後世支那や我国で云う宗派の意義とは異なったものであって、唯識の点から一般仏教を説明する仏教の基礎的学問と云うべきである。

但し自ら大乗としてその時代の声聞等の解釈法を劣れるものとして、勝劣を分(わか)った。この事は後世に起った大乗教の通弊とも云うべきものであった。

 

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