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第30 - 日蓮宗の諸種本尊観

次にまた日本仏教の随一を以て自任する日蓮宗の本尊は、如何なる者であろうか。

宗祖逝かれてから既に六百四十四年を経た今日、尚(な)お議論紛々として一定しない実状である。

さればこの宗の本尊について一定して確定的に論断する事は不可能である。

 

歴史上公平に観察する時は、日蓮上人御自身で、時に随(したが)って本尊(ほんぞん)義が進歩しつつあったもので、一生を通じては種々の本尊義を有(も)って居られたことは事実である。

そこでかれの後輩が諸種の異論を立てて、互(たがい)に諍論(じょうろん)してもので、今尚(な)おその諍論が続いて居る次第である。

 

日蓮が清澄(きよずみ)山において、南無妙法蓮華経と始唱せられるに至るまでは、通常釈迦牟尼如来を以て本尊としておられたようである。

七字の題目を唱えてからは、法華経一部八巻の経典その物を本尊とする事、恰(あたか)も現今の印度のシク教におけるが如くした事があった。

現今この経典を本尊とすることは、田舎の古い檀信徒の家にそれがあるのを除いて、同宗寺院の何(いず)れにも見えないことである。

 

日蓮が佐渡で本尊抄を著(あらわ)し、その説を具体化して、十界曼荼羅を作出して本尊と定められた。

これが佐渡始顕の曼荼羅本尊であって、この本尊がこの時誌(しる)されたものに一定して居れば、問題は少ないのであるが、その後誌(しる)されたものは弘安年間に至るまで、殆(ほと)んど一定して居らなかった。

田中智学氏は佐渡始顕のマンダラを本尊とせられるそうであるが、単称日蓮宗は弘安式マンダラを主尊としている。

一尊マンダラとて南無妙法蓮華経とのみ誌(しる)されたものもある。

 

何(いず)れのマンダラのみを本尊とすべきか、一定することは困難な問題である。

その上このマンダラが根本で出来たと思われる彫刻或は銅像等の本尊について、一塔両尊とか、二尊四士とか、一尊四士とかあって、混然雑然として帰一することが出来ない。

 

また深草の瑞光寺で元政(げんせい)上人が祀られた本尊は釈尊一仏であった。

元政上人が釈尊のみを本尊として、祀られたと云うことは法華経の神力品に、十方諸仏世界の諸(もろもろ)の衆生等が、娑婆世界に向って、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と唱えて礼拝した事によって法華会上の本尊は、この釈尊に限るとの本義を顕現していることに徴(ちょう)しても、意義があると思われる。

 

また日蓮上人が一生随身仏として、常に御身より離されなかった本尊は、伊豆の海中より得られた釈尊の仏像であった。

この点から見ると日蓮は内心には釈尊を本尊とせられたように見える。

 

以上大略説明した如く上人自身に諸種の本尊観があったのであるから、それを一本尊と決定しようとするには、固(もと)より論の起ることが免れないのである。

 

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