目次

第17 - 大小二乗の同一原理

もし吾人にして、原始仏教である純真仏教の阿含経を正当に解釈したならば、華厳や法華や涅槃の諸経と一貫した原理と目的に達する事が出来るのである。

華厳の四法界は阿含の色心二法の詳説であり、法華の一心三観は阿含の三法印に帰し、涅槃の一切衆生悉有仏性は遺教の法身常住と異説同義である。

皆これ阿含の正見真理に基いて顕われた真理である。正見なしにはこれ等真理の顕揚は不可能である。

 

いわゆる仏知正見の顕れであれば阿含所説の四諦の究竟説明は、遂に如上(じょじょう)の真理顕現となるのである。

その所以(ゆえん)を略述すれば、苦集道の三諦は俗諦であって、仏教構成の差別的方法及び組織の根拠を為し、滅諦は真諦であって、離言絶相の涅槃の基礎となる。

茲(ここ)において法華経のいわゆる方便譬喩授記等の構成の部門は、阿含経の苦集道の大解釈である。法華経のいわゆる絶言絶慮遂に滅諦に悟入して、大涅槃を証得すると云うこととなる。

ここにおいて法華の目的も、阿含の目的も同じく仏知見を正しく見て、解脱するにあると云う事が了解出来るのである。

 

印度に起こった三論家の所談に、尊ぶべき事は悟(さとり)を得ることにある、義は定(さだま)りないと云うことがある。

その意義は大小乗教は皆証道を顕すこと一つであって勝劣がないのである。大小何(いず)れに赴くも皆証果を覚証することを貴しとするのであって教を選ぶの要がないと云うのである。

 

かくの如く真理も同一、目的も同一である一仏乗において、偏宗的我見を以て妄(みだ)りに経の高下を判断する如きは、実にその乱暴なるに驚かざるを得ないのである。

 

目次 inserted by FC2 system