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第88 - 随方毘尼の意義

前記論者の所説は随方毘尼(ずいほうびに)の意義を誤解したものである。

元来随方毘尼ということは、嘗(かつ)て釈尊が自ら開遮(かいしゃ)せられなかった徳目について、その地方及びその時勢の事情に従って、許すなり禁ずるなりするものである。

 

一例を挙げると喫煙の習慣については、仏世尊在世の当時は、煙草がなかったから、仏はそれに対して許すとも禁ずるとも命ぜられなかった。

それに対して緬甸(バルマ)の比丘僧等は、一般に喫煙することを許し、西蔵新派の比丘僧等は、喫煙を禁じて居るようなもので、何(いず)れもともその地方及びその時勢の人々の随意に決定出来ることを、随方毘尼と云うのでる。

 

一旦如来の金口から発して戒律と決定せられたものは、如来自らの外に誰も変更することの出来ない金剛律である。

この万古不変の如来の戒律を、随方毘尼などという全く用途の別なる原則によって、変更せんとするが如きは、殆(ほと)んど狂人の沙汰と云うべきである。

 

然らば如来の如来の戒律は変更することが出来ぬ。

また金銀を受け持たねば生活が出来ぬとすれば、吾人は比丘僧として如何にすべきか。

ただこれのみではない。不離三衣の如き不触女学処の如き、我国の現代において殆(ほと)んど実行不可能のものと、全然不可能である禁受蓄金銀学処とを正実に受持せなければ比丘僧ではない。

されば現代吾人は具足戒を完全に実行出来ないことと、実行して居らなかったことが解った時に、吾人は今日まで比丘僧であると思っていた謬見(びゅうけん)を捨てねばならぬ。

 

余は自ら不淫、不殺生、不偸盗(ちゅうとう)、不妄語、不非時食、不食肉、不飲酒(おんじゅ)、不喫煙等を、従来不完全ながらも持っていいたけれども、未だ嘗(かつ)て禁受蓄金銀学処並(ならび)に不離三衣等は護持したことはなかったのである。

それをあるように思っていたのは無知の謬見であった。

余は従来無知のために比丘僧と僭称していたのであった。

この謬見の僭称を棄てた時に、元の在家であったことを発見したのであった。

 

かくの如く仏陀制定の規律に従えば、我国には一人も真の比丘僧はないのである。

またこの制戒よりすれば支那にも西蔵にも、ネパールにも、印度にも、パルマ、セイロンにも、シャム、カンボジヤにも、凡(およ)そ仏教国と云われる所に、一人も比丘僧はないのである。

これ世界無僧と云う所以である。ただ名ばかりの僧があるのみである。

即ち比丘僧という名はあれども、その内実は俗人よりも劣った行為のあるもので、悪魔の群と択(えら)ぶ所がないのである。

 

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