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第82 - 頓と漸との弁

この菩薩の十地を完全に修行し尽すには、時間より言えば三大無数劫という、長い時間の修徳を要するのであって、真に永い時劫の後に仏果を得るのである。

 

さればウパーサカ仏教は漸教(ぜんきょう)即ち次第を逐(お)うて実修する教(おしえ)で、結果まで永久の時間を要するものであるから、吾人の如き急速成功を欲する者には不適当であると云う者がある。

これは仏教の組織を知らぬ者の言である。

仏教に入った程の者はみな、その人の機根と欲望と精神的階級とに応じて、それに相当したる覚悟と利益と安心とを得るものである。

 

これに反して凡夫が頓(とみ)に仏陀正覚を得るなどと唱えて、一超直入如来地とか、往生即成仏とか即身成仏などと唱えて、一躍(いちやく)凡夫が仏になり得ると思う如き非常識極まることは、恰(あたか)も三千丈の高空にある飛行機から跳落するという暴挙に伴って粉砕する様なもので、断見或は常見の鬼窟(きくつ)裡に堕落する事となる。

 

但し宿世上乗の修行力ある者だけは別である。

頓教(とんぎょう)という語はただ上々機根、八地以上の菩薩に相当する者の真理の標語であって、頓機の菩薩にのみ適用せられる語である。

然るに普通一般の凡夫に対し、直に即身成仏などという円頓菩薩の為すべきことを行うとするのは、譬えば獅子の真似をする狐の如きもので、その身を殲滅するに至らなければ已(や)まないのである。

 

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