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第75 - 不飲酒戒の義釈

不飲酒戒はこれまた現代の弊害に対して、痛切なる戒律であって、現代人が遭遇している諸種の禍害(かがい)から、解脱することが出来るのである。

併(しか)しながら飲酒家は酒は百薬の長とか、憂いを払う玉箒とか、地上の甘露とか、無限趣味の製造主とかいう、いろいろの美名を付して、自ら慰めて自らそのアルコール毒に酔っているのである。

 

そうして酒を耽飲する者は、仏の説かれたような十種の害を受けるものである。

 

なおこの外に仏は飲酒の三十六過を説かれている。

現代の医学においても飲酒の害を認めている。実際飲酒のために身体に害を受けている者の多いことは否定できない。

現に飲酒家は病気に対して抵抗力の弱いことも、驚くべき程であって、随分頑強なる体格の人でも、豪酒家は少しく重病に罹(かか)ると、急にころころと死ぬ者が多い。

 

かくの如く身体上の害も多いが、精神上の害に至っては深刻である。

人間の破産者とでも云うべき狂者は、大抵飲酒に原因する者が多い。

その人自身が飲酒しないでも、親か祖父の飲酒が因をなして発狂する者もある。大飲酒家の子供に、痴呆、低能、頓狂者、放蕩漢の多いことも事実である。

 

併(しか)し泥酔者は酔眼朦朧として、これ等の事実を見ることが出来ないで却って酒の功徳を讃美するのである。

彼等が何程酒徳を讃美しても、依然として酒毒は反対に彼等をして、狂態を演ぜしむるか、疾病に至らしめねば已(や)まないのである。

 

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