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第74 - 比丘僧の虚言は断頭罪

比丘僧の四重禁戒では不邪淫を不淫として、資格の妄語も殺生も偸盗もみな同等に断頭罪として、この中の一つでも犯した者は比丘僧の資格が滅びたものとしてある。

出家に対してはそれ程重い戒律であるから、昔の僧侶は比較的これを厳重に守った者が多くあったと見えて、その時代の諺に武士と出家に二言はないと云われる位であった。

 

併(しか)しながら現代の僧侶は自己の実際信じていない教条や、実行しておらない徳目を説いて、公然虚言を言って自らを欺き、また世を欺いて生活する者が多いのである。

正当に言えば、現代僧侶の生活は虚偽生活である。自欺欺他である。

仏陀親定の具足戒をば犯しながら、比丘僧として広大なる寺院に住し、仏食法食を貪(むさぼ)っているのである。

大なる虚偽生活でなくて何であろう。かかる虚偽の生活に住する者に、正法を説くの資格が何処にあろう。

 

併(しか)しながら今の虚偽多き世界には、この大なる虚偽が世より怪まれずに行われているのである。

精神的指導の地位に立つ者が、虚偽生活に住しているのであるから、現代社会が虚偽に満ちている事も当然である。

虚偽の説教、虚言の実行が、世を毒する源泉となっているのである。

 

釈尊が夢にも説かれなかった所の「信じて念仏称名すれば極楽往生出来る」などという大虚言を、公然と揚言宣伝して、如何(いか)に多大なる害毒を世に流しつつあることよ。

その寸況を思うだも戦慄すべきの至りである。

かの本山は往生の事実がない願文を振り回わして不渡手形のみを発行している。

 

かくも害毒の多大なることを思うにつけても、現代の仏教として、各個人が実行出来得る教条で、虚言の生活もなく、虚偽の説教もせないで、実現実行毫も自他を欺かないウパーサカ仏教の興隆が、如何(いか)に現代及び将来に必要であるかを痛感するものである。

 

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