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第72 - 不邪淫戒義釈

不邪淫戒は家庭の平和を全(まっと)うし、社会の風紀を清浄にするには、必ず護らねばならぬ徳目である。

凡(およ)そ邪淫と云うことは、他人の妻を犯すことは勿論、他の保護下にある娘や婦人と、かの保護者の承諾なしに性交することである。

なお妄(みだ)りに妾(めかけ)を蓄え、或は醜業婦に接するなどはこの邪淫の中に入れられる。

 

元来不義の名を付せらるべき肉交は、みな邪淫の中に算入せらるべきもので、現今社会の実際裡に入れば、この罪悪が、三角関係や、四角関係や、同意情死や、無理情死などと種々様々に行われて、狂瀾(きょうらん)の如き渦巻を起して、日々に苦(くるし)み悩む者が上下に通じてあることは、その日々の新聞紙の社会記事によっても明示せられている。

人間がこれらの性欲に犯されざる間は、その関係において無事に時を過ごすことが出来るけれども、一たびその機会に接すると、枯木に火をつけた如く燃出すものであるから、人は平常よりそれが消火栓として、不邪淫戒を持つことが必要である。

平素この戒を持つ夫は自己の妻の外に、妻は自己の夫の外に邪(よこし)まなる性交を求めないからして、家庭は平和なる浄土であって、互(たがい)に嫉妬憎悪の焔(ほのお)などを燃すことなく、和気靄々(わきあいあい)として歓喜満ちたる中に生活する事が出来る。

 

かりに千万長者であって、金殿玉楼の中に住することが出来ても、平気で邪淫を行う主人や、主婦の居る家庭は、乱雑煩擾(はんじょう)、鬱憂暗闘、陰険毒舌等、あらゆる罪悪が地獄の如くに行われて、不良少年不良少女を始め、低能不具の子女が生れるなど、種々の苦痛を嘗めるものである。

それのみでなく、性欲のことに原因して、窃盗、強盗、詐欺、喧嘩、果ては殺戮までも行うに至ることが随分多いのである。

そうしてそれがために苦しんでいる者が、社会の上下至る処に沢山居るのである。

かの勝手に邪淫を行う者は、黴毒(ばいどく)を受けて麻痺性痴呆となり、狂人となり、廃物となる者が多いのである。

 

このように苦しんでいる者の多いことは、不邪淫戒の尊いことが、一般に世に知られていないからである。

現代人に対しては不邪淫戒ほど必要なる道徳は外にあるまい。

現代人を浄化するには、この戒徳の実行を実現するほど、肝要な事は他に類がないと思う。

それ故にこの徳目の実行を主として教えるウパーサカ仏教の発生と、それが成長とは現代に対して必要中の必要と云わねばならぬ。

 

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