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第71 - 不偸盗戒義釈

不偸盗戒は与えられない物を取るなという戒律であって、ウパーサカ五戒の第二である。

かの盗みをするということは、余程下等なまた愚昧な人間であって、全く自業自得の因果律に不明なる者の行う所である。

併(しか)し現代では随分上流社会にいる人間も、収賄、委託金費消、詐偽取財等諸種の盗行があって、度々新聞紙にそれらの狡猾な罪人の入獄が報道せられる。

 

盗心は目前の利益を見るに鋭くして、永遠の大なる損害を見る眼がないか起ることである。

もし彼等にしてどうしても金銭に換える事の出来ない人格という至大至重な宝のある事を知って、金銭の為にその宝を蹂躙することの如何(いか)にも愚である事を知ったならば、彼等は決して盗みをせなかったであろう。

 

かくの如き道徳的人格の上からでなしに、かりに利益のみの打算的から考えても、盗業程自他や社会や国家に損害の多いものはない。

かりに盗業が公に知れないで、法律上の罪は脱(のが)れたとするも、悪銭身に着かずして、遊蕩費や、賭博や、無意義なる奢多費に費消せられて、自他や国家等のためになる経済には用いられない。

もしその盗業が公に知れれば、自己が盗んだ物より以上に該当する長い苦役に苦しまねばならぬ。

固(もと)より盗み取られた人の損害は勿論、国家も彼等のために、警察費や、刑事事務所費を多く支弁せねばならぬ。

 

然るにこのような自損損他損国家の盗業が今なお盛(さかん)に行われているのは、仏教の不偸盗戒の原理及びその実効が、社会人に知られて居らないからである。

これが如何(いか)に現代人の上下に必要なる教条であるかは、注視すべきことである。

特に偸盗業は一般人の最も忌み嫌う貧困窮乏の原因である事は如来の金説である。

 

不偸盗戒を護れば貧困窮乏から解脱することが出来る。

これが別解脱法の一教条である。

 

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