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第63 - 実在の菩薩と理想の菩薩

しかし次のように言う論者もあろう。

かの文珠や、弥勒や、普賢などは、理想的仮設の人物であって、実在の人ではないから、如来の滅後仏説を結集したなどの事はあるべき筈はないと。

 

この疑問を明(あきら)かにするには、菩薩に実在と理想との二種あることを知らなければならぬ。

この土に生れてこの土における実際的事業に、関係したことのある菩薩は実在である。
これに反して、他の仏土より来たとか、或は化現の如くに現われたとか云うのは理想の菩薩である。

例せば文珠、弥勒、宝積、維摩羅、牛主など、この土に生れて在家の生計をした事歴のあるものは、実在の菩薩であることは明白である。

また西方極楽世界からこの土に化度のために来られた観世音菩薩や、大勢至菩薩や、東方大荘厳世界の菩薩で実相智慧虚空の如き徳を表わす虚空蔵菩薩や、南方宝生如来の幢菩薩(どうぼさつ)として安忍不動なること大地の如く、静慮深密なること秘蔵の如き徳を表わす地蔵菩薩などは、その各自の国土においては、実在の菩薩であろうけれども、この土においては理想仮設の菩薩と言わねばならぬ。

 

また実在の菩薩でも後世余りに理想化せられたために、理想の菩薩と思われる者も多くあるのである。

実在菩薩の実例としては、文珠師利般涅槃経の中に、仏が跋陀婆羅菩薩に告げられた言として文珠師利は大慈悲心あって、舎衛国の多羅聚楽の梵徳婆羅門の家に生れたと説いて居られる。

また泥巴爾(ネパール)国創開の始祖は文珠師利であって、この文珠師利は仏在世時代に入滅した文珠師利の子か、或は弟子であろう。

彼は仏滅後数十年の後、支那に入って山西に五台山を開き、その帰路はネパールに取った。その当時ネパールの中央部は、ヒマーラヤ山中における一大湖水であって、蒼海の如き観を呈していた。時に文珠師利はその湖の東南部の山間を開鑿(かいさく)して、水を渓間に落して湖底を乾燥せしめたので、人民が住することが出来るようになった。

それ故に同国では、文珠師利菩薩を国祖として、今なお同国首府カタマンド市郊外の、スワヤンブー山塔の後部の山頂に祀って、一般人民は盛(さかん)に崇拝している。

また現今同国の国王は印度教徒であるけれども、やはり毎年一月一日には、国祖として国幣を捧げている。またその堂の修繕再建等の時は国庫から支出している。

この事例によるも、文珠が実在の人物であった事の確実であることは知るべきである。

 

また仏滅後三百五十年頃まで文珠菩薩は菩薩衆の結集した大乗を密(ひそか)に護持したものであって、仏滅後約三百五十年、文珠菩薩がオリッサ国のチャンドラパーラ王に大乗の法を説いてその書籍を遺したことが、阿難の滅後大乗が世に出た始めであった。

 

また菩提道順伝灯史には、龍樹大士が文珠師利菩薩より顕密二教の極秘を相伝せられたことが載っている。

その文珠師利は中道宗の初祖であって、龍樹は第二祖であった。

その相伝を授けられた文珠師利は、賢護Mati ratnaという天人であった。

これによって見ると文珠師利という名は、広博仙人(ヴィヤサ)の二十一代も続いてマハーバハラタの部分を著作編修出来得る有力な学者にその名を付けたように、経義或は三昧義を大方広大布衍或は大著述を為し得る賢者に、この尊き名を与えたのであった。

この事は龍樹の師、天人賢護を文珠師利として、中道宗の初祖としたことに依て明白である。

されば代々文珠師利の名を受けて、大乗経典を作出していた多くの賢者のあった事も、事実として承認出来ることである。

これが文珠師利が諸仏の母と云われた所以であって、大乗妙典の著述者であるからであった。

 

これ等はみな実在の文珠師利であって、理想化せられた文珠師利は、諸経中幾等(いくら)でもあるけれども、その一二を挙げると第一、雷鼓音王如来の前で、菩提心を起した文珠師利は、余りに広大無辺であって、理想的説明とより外に見ることが出来ない。

また法華経の提婆達多品中に説かれた文珠師利菩薩は、大海の娑竭羅(サーガラ)龍宮から自然に湧出して、ともどもに修行成就の無量無数の弟子菩薩を率いて出で来りたるかの如く、余りに不可思議神変奇妙であって、理想仮設の説明とするより外に、説明の方法がない。

同じ法華経でも序品中に列座しておる文珠師利は、菩薩の徳を普通に備えている実在人物であって、同名でも提婆達多品の海中湧出の理想的文珠とは、全くその人が違うのである。

 

このように同じ法華経中でも、実在文珠と理想文珠との相違を明かに見ることが出来るのである。
如何に後世に及んで、理想化せられた実在菩薩の多く造られたかも知るべきである。

また既に序品に列して居る文珠師利が同名同人なれば提婆達多品において突然海中より現れ出ることがないのである。
固(もと)より同名異人であるから、現われることが出来たとせねばならぬのである。

このような理由で、初めのを実在の文珠とし、後のを理想の文珠師利とすれば、事実において撞着しないのである。

 

弥勒菩薩は、釈尊の次にこの世に現れんとする仏陀であって、非常に名高い菩薩であるけれども、弥勒下生経や、弥勒大成仏経が、ともに大方等部の経であって、余りに布衍され過ぎて理想化せられた点が多かったので、仮設的人物の如くに思われたのである。

併(しか)し弥勒上生経に優波離(ウパリ)に仰せられた言に、

また同じ経の前丁には、優波離が、

と仏に尋ねている程に、彼は真実に凡夫であった。

これ等の記載に依ても彼は真実に凡夫であって、ウパーサカであったことも知られるのである。

 

勿論(もちろん)他方来の菩薩、例せば観世音菩薩、大勢至菩薩の如き、また法界中或自性の徳を代表する秘密曼荼羅中の諸院内における、地蔵菩薩や、虚空蔵菩薩や、除蓋障(じょがいしょう)菩薩などは、みな理想的の菩薩であって、当時印度に生れた事歴のない菩薩である。

 

そうして菩薩乗を結集し著述したものは、みな実在の菩薩等であった。

西蔵ヤーセル所蔵のヴィマラ山頂の菩薩乗の結集は、漢訳所伝には見えないけれども、余はヴィマラ山頂の大卒堵婆(ストゥーパ)を以て菩薩衆結集の記念碑であろうと思うのである。

併(しか)し只今までこの塔は何のために建てられたものであるか、その記録を得ないので判然しないのである。

けれども外にヤーセルの説を否定する有力なる反証の挙がらない以上はヴィマラ山上の菩薩結集は、その説の如く歴史上事実とするのが至当であろうと思われる。

 

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