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第59 - 出家的解脱法

出家的解脱法、梵語苾蒭木叉達磨(ビクシュ モクシャ ダハルマ)は、約(つづ)めて言うと、生死の苦を厭(いと)うが故に全く家庭を棄て、剃髪して三衣を着し、比丘の具足戒即ち二百五十ヶ条の戒律を受け、三千威儀の細目を実行して、苦(く)の実在、並(ならび)に集(じつ)即ち苦総生の実在、滅(めつ)の実在、道(どう)の実在で合わせて四諦となる法を観じ、智証を得て解脱の岸に達して阿羅漢となるのである。

これが出家解脱法であって、仏在世の当時、及び仏滅後約三百年間は、出家中にはこの法のみであって、この法が至上法であり、一乗であり、大乗であったのである。

その証は序論中に挙げた如くである。

 

然るにこの出家的解脱法が小乗として卑められるようになったことは、凡(およ)そ仏滅後三百年後において、在俗菩薩衆が大方広或は大方等と訳せられた、マハー・ヴァイプールヤ部、即ち大布衍せられたる経典に、大乗と命名して当時出家の偏固卑小となれるものを、覚醒せしむるためにその信奉する所を、小乗と貶黜(へんちゅつ)することとなった。

それがために彼等の作出した大布衍経中には、仏の言語や菩薩の説話や弟子の言葉に託して、多くの講話を作出して、かの出家仏教を小乗とし、声聞乗として盛(さかん)に蔑視抑下(よくげ)するようにした。

この事実は、大乗経典は大抵埋蔵せられて後に掘(ほり)出されたものか、或は仏陀が或人の心中に埋蔵せしものを、後にその人が更生して自心内の埋蔵を開発して出した経典と言われるものが、大乗経典であった歴史(次節参照)が証明して居る。

 

そうして出家仏教が小乗として卑しめられるようになった理由は、かの時代の比丘僧侶が余りに偏狭なる見解に囚えられて、涅槃を断無の空と解し、自家一己の解脱を主として仏説の大なる真義を了解し得なかった所にあった。

しかし当時の僧侶は確(たしか)に卑しむべきものであったとしても、それ等が尊信している仏説の阿含経及び律部までも、小乗として卑しめたことは、時勢の然らしめた所とは云え、確(たしか)に誤謬(ごびゅう)であり罪悪であった。

出家解脱を主とした阿含部の諸経典は、如来の大清浄心大慈悲心の表現であって、比丘の具足戒及び優婆索迦(ウパーサカ)の戒律等は、親が子供をして危険に陥らしめないために、種々の教誡を垂れるが如きもので、戒律の一々は仏陀大慈悲心の結晶である。

 

かくの如き大清浄心及び大慈悲心の表われている阿含経や戒律部を、どうして小乗などと卑めることが出来たであろうか。

これはその当時の出家が余りに利己主義が甚(はなは)だしく、それが為に彼等の用いる経典も、彼等の欲望の犠牲にしていたので、大布衍大乗経の作者は大に破拆(はたく)したものと見るべきである。

 

【然るに】彼等の破拆に拘(かか)わらず、阿含経は、その本質においては依然として大乗妙典であり、一乗経典であることは、既に引証した明文に依(より)ても明(あきら)かである。

 

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