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第58 - 発菩提心実行の方法

仏教に入る者は、まず仏に倣って菩提心を起さねばならぬ。

 

そうしてその菩提心は何のために起すか、即ち如何なる目的があって起すかと云うに、その目的は大解脱である。

即ち自由自在万徳円満の仏果を得る事である。

 

法華経の仏は一大事因縁のために、この世に出で給うたと云うのもこのことである。

即ち一切衆生に仏知見を開示し、また彼等をして仏知見に悟入せしむるために仏は世に出で給うたのである。

 

されば吾人は如何(いか)ように菩提心を起し、また如何に正法を実行して、その目的を達し得べきかと云うに、ここに二つの方法がある。

一は出家的解脱法であって他は在家的解脱法である。

 

この区別は仏教においては非常に緊要であって、最も明瞭にせねばならぬ要点であるけれども、古来この点において甚(はなは)だ明瞭を欠いている。

古来解脱法と云えば出家せねば得られないように、思っていた者が多かったのである。

随(したが)って在家では解脱法を修めることが出来ないように、思っていた者も多くあったのである。

 

併(しか)しながら仏在世の当時において、在俗のまま阿羅漢果を得て大解脱を得た、誥底(キルチ)や、維摩羅(ヴィマラ)や、富楼那(プルナ)や、憍波底(ガウパチ)や、跋陀羅波膩(バハドラ・パーニ)などが、最初化度の五比丘に次(つい)で出たことに依ても明かである。

これ等在俗の解脱を得た方々が菩薩となって、衆生を済度せられたことは、阿若憍陳如(あにゃきょうちんにょ)等の五人が阿羅漢となって、衆生を化度せられたのと同じである。

 

そうしてその各自の解脱法が如何なるものであったかということは、以下に節を分(わか)って説明することとする。

 

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