感応道交の相対性。
この法は空間に同時に存在する現象の相互関係の原理である。
この世の現象に対して因果律は、時間的変化の一定法則である。
然るに感応道交の原理は、空間的に相対する現象の相互感応の原理である。
例せば吾人が或場所において、互に主となり客となって、相対しながら同時に一方の心が、他方の心に結果を及ぼすことがある。
これは主客相対の関係である。
かくの如く主客相対して何故に関係を及ぼし得るかと云えば、吾人各自の心は皆一心法界中の同一性中にあるものであるから、恰(あたか)も電気が電波に感じて、それに相応する機関に、作用を顕わすようなものである。
古来仏教に感応道交と云うことは、この原理が仏と衆生との間に行われていることを指したものである。
感は衆生の感ずることで、応は仏が衆生の願いに応ずる事である。
この両者の心界における道において、相互に感応交通することを云うのである。
衆生が仏陀世尊の霊応を感ずる善根が発動したのを機と称(とな)える。この機に応じて如来が利益(りやく)を与えられることを応と云うのである。
衆生善根の発動と云うことは、如来に対して、純一無難の信心を起すことである。至心に念ずることである。
至心信念は自然に身語意の三業が一致団結して、意には如来を念(おも)い、身は静粛(せいしゅく)に合掌し、口に仏名を唱うることが、同時に一業の如くに現われるのである。
このように現われた信念は、恰(あたか)も発声者が山間における山彦(やまびこ)の如く、必ず反応あるものである。
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