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第49 - 因果相続の原則

第二義における法は、以上述べたる現象界の変化において、一定不変に行われている法則である。

この法則は、時間的には原因結果相続の原理であって、空間的には主客相対感応道交の原理である。

この二を総称して羯磨(カルマ) Karma即ち業(ごう)の原理と云う。

 

業は不浄業と清浄業とあって、不浄業は六凡の造る所であって、清浄業は四聖の行う所である。

勿論六凡の中でも神や人間は、清浄業を行うことがあるけれども、その動機が四聖の如く、無着清浄という訳には行かぬから、純粋無垢なる清浄業とは云えぬのである。

 

この業の原理で、時間的に相続して行われる原因結果の原理は以下の如くである。

因は能く果を生ずる力あるもので即ち生じ手を云うのである。

果はそれより生ぜられたるものを云うのである。

凡(およ)そ世の中には因あれば必ず果あるもので、果があれば必ず因がある。これを単に因果の理と云っている。

 

この因果の原理が無始無終の時間に一貫して、心的相続現象に行われていることを闡明するのが、仏陀が説かれた因果説である。

そうして総べて因あるものは、何かの結果である。恰(あたか)も今年蒔く所の籾種は、去年収穫した結果であるようなものである。

また結果であるものは必ずまた何かの原因となるものである。恰(あたか)も今年の収穫米が、来年の苗代(なえしろ)に蒔かれるようなものである。

かくの如く原因そのものが直ちに結果であり、結果そのものが直ちに原因となって、原因結果必然の関係を現している。

 

そうしてこの必然の法則は、吾人各自が能作所受たるに止(とどま)らずして、或業の起因は吾人生前の過去の幾世にも亘(わた)り、三世無限に相続徹通して行われていることは、仏陀の説明し給う所である。

そうしてこの因果原理の仏説を正解するに必要なる条目は以下の如くである。

 

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