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第44 - 政治家の無知と宗教界の腐敗

我国現今の政治家は思想問題については、赤化問題とか、無政府主義に関する政治的思想問題には少(すこ)しく注意し出したけれども、それ等よりも遥かに重大にして、且つ緊要(きんよう)なる国民精神の健康を養成する宗教的思想問題については殆(ほと)んど盲目の情態である。

 

宗教的思想問題でも政治に触れるか、不敬問題でも起すことがあると、現代の政治家でもかなり神経過敏に働く事は、かの一時非常に猖獗(しょうけつ)を極めた、大本教を圧迫したことで知られる。

然るに出家僧侶等が虚偽生活のバチルスや、念仏安心なる独立心撲滅の毒菌を何程国民間に放散しても、現今の政治家は少しもそれを感じないのである。

これら等精神的毒菌はかのチブス菌や、コレラや、肺病の毒菌よりも、国民生活上根本的精神的に恐るべきものであるけれども、精神的だけに彼等には感じないのである。

されば現代の政治家にして宗教界の改善などという根本的大問題に触れた人はないようである。

 

かかる情態で外部からの刺戟(しげき)が少ない仏教が国民の精神的に及ぼす現状は、今なお幕府時代そのままの情状に留って居るのである。

かの主権者将軍に似たような阿弥陀如来と称(とな)うるものや、各地方の諸侯にも似たような諸仏諸菩薩や、権現や、明王や、鬼子母妙見等、異種異形の者を本尊として混然雑然として、帰一する所を知らない。

この混雑情態は実に多数の人民をして迷信に陥らしめている。その諸種異様の迷信のために、多くの人々が諸種の害悪を受けている。

一体我国の仏教界は何時までも、幕府の専制や、諸侯の横暴、即ち諸種本尊の跳梁(ちょうりょう)に任かしておいて善いものであろうか。

 

心機一転、心界における錦の御旗は翻(ひるがえ)らざるか。

吾人は何時(いつ)までも将軍に斉(ひと)しい無量寿や、諸侯に似たる諸菩薩や明王や諸天善神を、本尊とする雑駁混沌の情態に居るべきではない。

一時も早くそれ等を排して、本地本源の本尊釈迦牟尼仏に帰らねばならぬ。

当国土仏教唯一の主尊釈迦牟尼仏に帰らねばならぬ。

根本教祖の恩を知るほどの者は、皆結束して釈迦牟尼仏に帰らねばならぬ。

仮りにも一切仏教がみな釈尊に出でたことを知るほどの者は、全体一致して釈迦牟尼仏に帰らねばならぬ。

錦旗一翻(きんきいっぽん)全国民が翕然(きゅうぜん)として、天皇陛下の許に帰一した如くに、釈尊の勝幢一躍(しょうどういちやく)する所に全仏教信徒は結束して帰るべきである。

 

 

以上仏教の本尊は釈迦牟尼仏であることを闡明(せんめい)して、その本尊を本尊としなければならぬことを説いた。

その上に吾人は仏教徒として、釈尊に帰らなければならぬことを述べたものである。

そうして吾人が本尊である釈迦牟尼仏に対して、如何に観ずべきか、また如何に念ずべきか、また如何なる供養法を修すべきか、これ等については法宝の修行法の所で説明するであろう。

次に法宝について説明する。

 

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