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第43 - 阿弥陀仏本尊弁に対する批判

然るに弁ずる者は言う。

阿弥陀如来は釈迦牟尼仏の徳体なる報身で、釈尊はその応身であるから、釈尊の元の報身、阿弥陀仏を本尊とすることは別に異論を云うべき理由はないと。

 

この弁に答える前に先(ま)ず阿弥陀という名は前にも説明した如く、無量という義で、阿弥陀仏は無量仏であるから、西方極楽世界の教主である無量寿仏その方ではないことである。

極楽教主の名としては阿弥陀は全く無意義であるから、論題とならぬということである。

但し弁者は極楽世界の教主の事を思っているのであろうから、その思想に随(したが)って無量寿仏として御答えする。

 

無量寿仏を報身と云うのは、一種の情量であって、何の根拠もない説である。

凡(およ)そ各仏国土において各自の如来が成仏せられた以上は、その土における応身仏であって、即ち三身具足の仏陀であり、特に吾人の本尊釈迦牟尼仏は、釈尊御自身の法身としては摩訶毘盧遮那仏陀(マハーヴァイローチャナ・ブッダハ)があり、報身としては盧遮那仏陀(ローチャナ・ブッダハ)がある。

別に無量寿仏を報身に借る必要がないのである。

 

そうして無量寿仏についてはその報身応身何(いず)れの説を取るとしても、極楽世界即ち外国の教主本尊であることだけは動かすことが出来ない。

然るにその方を以てこの釈尊という教主のある国土において、その本尊とすることは全く不条理である。

それを詭弁で以て強(しい)て行おうとする者は、前例の如く日本国民が英国皇帝を主権者として戴(いただ)くことと同じ無法である。

 

かかる無法なる宗教が天下の主権者であらせられる天皇陛下を無視して、その主権を横奪して武力で天下を圧伏した無法なる鎌倉時代、即ち我国伝統的道徳の精粋である尊皇の大義が、殆(ほと)んど地に堕ちた時代に生れ出した事は全く暗黒時代に適合した産物であるとも言える。

吾人の本土の教主本尊を無視して、他方外国の教主を本尊とするような無法な宗教が、無法な時代の要求に応じて表れ出たものとも云える。

 

そうしてその無法が強固なる地盤を造って、非常に盛大になった。

その後徳川時代に及んで、将軍政府はその政策上、人民の精神的去勢法として、この自家否定、他力専頼、独立心消滅の称名念仏宗の発展に甚だ尽力したものであった。

 

そうしてその政策は非常な効力を表わして、素町人(すちょうにん)土百姓(どびゃくしょう)として、切捨御免(きりすてごめん)の暴力を武士に振われても、精神的に去勢せられた人民は、羊の如く柔順であった。

否(い)な彼等は暴殺せられても、極楽往生するならば、未来は一蓮托生、将軍も素町人も同座で、聴法の楽と、百味の飲食が得られる事と諦らめたであろう。

 

かくの如く国民の独立心に恐るべき害毒を流した邪宗門が、今なおその習慣の余勢によって、国民の道徳進歩の第一門である懺悔心を滅却して罪悪のその身そのまま御助け下さるなどというこの思想は、親鸞の

と宣言したことに由(より)て起ったもので、この作悪肯定の精神的毒素を社会に流しつつあることは、実に国民の道徳進歩のために、国家百年の大計のために全く寒心(かんしん)に堪(た)えないことである。

 

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