目次

第39 - 釈尊の万徳円満

仏教統一の根本的本尊であらせられる釈迦牟尼仏は、如何なる徳を備え給う御方であるかと云えば、無始無終の無限の時間に一貫する真理に体達し給い、その真理の体に具有する無辺の道徳を集積し給い、大智慧の光明と、大慈悲の潤沢とを以て、無辺法界の無限の衆生を照導化育し給う徳を具えられる御方である。

仏陀釈尊はその実行戒律の厳粛なる点より云えば、吾等の精神的厳父であらせられる。

その包容的慈教の温和なる上より見れば、吾等の精神的慈母であらせられる。

一切の暗黒的苦患(くげん)を浄除し給う大智慧光の太陽で、一切の枯渇に悩む衆生等に、慰安の浄水を施し給う慈悲の大源泉であるのが、吾等の本尊釈迦牟尼如来であらせられる。

 

勝鬘経に勝鬘夫人が、釈尊の御徳を讃歎した語に、以下の如き句がある。

 

以上は主として釈尊の智徳の方面を讃歎したものであるが、その慈悲の方面の徳を讃歎したものには、央掘摩羅(アングリマーラ)の讃がある。

彼は彼の外道時代の教師に命ぜられて、その教命のままに一千人を殺さんとして、九百九十九人まで殺して後に、他に殺す人を得なかったので、彼は遂に彼自身の母を殺そうとした。

その時忽然として彼の前に釈尊が現れた。

彼は母より転じて仏世尊を殺そうとしたけれども、却って世尊にその邪見を説破せられて、彼は大に慚愧心を起し、血を吐く想いに責められ、冷汗遍身に流れて水を浴びたようになり、如来の大慈悲心に打たれて、心底より発した讃歎の言葉が次の如くである。

 

目次 inserted by FC2 system