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第37 - 仏教の真実本尊

前節列挙の如き十大徳を有せられる方は、世界の歴史上印度に出られた釈迦牟尼仏を除いて外に見出すことが出来ないのである。

 

釈尊は本年(大正十五年)より二千四百八十一年以前、印度国ヒマーラヤ山脈の麓(ふもと)なる迦毘羅衛城(カピラヴァスト)の浄飯(スッドダナ)大王を父とし、摩耶(マーヤー)夫人を母として、同国の藍毘尼園(ルンビニーヴァナ)の無憂樹(むゆうじゅ)下においてその年の四月十五日に誕生あらせられた。

幼名を薩婆悉達多(サルヴァ・シッダルタ、一切義成就)太子と名づけられ、成長の後、生老病死の実苦を見て、それ等一切の苦を脱(のが)れん為に、二十九歳で出家せられ、六年苦行の後、三十五歳の時成道(じょうどう)して仏となられた。

次(つい)で鹿野苑(ろくやおん)にて初めて説法せられて五比丘と五ウパーサカを度(ど)し、それより八十歳に至るまで、四十五年間一切衆生のために東奔西走して成仏の道を示され、実行と共に説法神通も示され、八十歳を一期として、拘斯那掲羅(クシナガラ)城外の沙羅双樹間に入滅せられた。

かかる実歴を有せられる釈迦牟尼如来が、当世界における仏教の唯一本尊である。

 

かくの如き主張に対して非難する者は言うのである。

このような本尊は人間的であるからいけない。理想的な法身仏(ほっしんぶつ)摩訶毘盧遮那(マハーヴァイローチャナ)如来でなくては有り難くないと。

かかる思想は一種の宗教的情想であって、理智の光りが少しも表れない一種の情想である。

 

何故ならば仏教に云う所の法報応の三身は、本来応身に具有して居る一体のものであって、吾人は応身なしには報身も法身も知ることの出来ないものである。

応身仏即ち歴史的仏陀が現われて、始めて法身仏あり報身仏あることが知られたのである。

吾人が仏陀を覚知するという点から見る時は、応身仏は吾人に対して最も緊要にして欠く事の出来ない有り難い仏となるのである。

 

何(いず)れにしても吾人が直接に感化を受ける実際功徳の上から見れば、歴史的仏身即ち応身仏が第一位を占めるものである。

この応身仏の源はと云えば、理体の法身仏と徳体の報身仏であると云う。

それ故に或論者は法身を第一位に報身を第二位に応身を第三位に置くのである。

 

併(しか)しこれは妄(みだり)に三身に高下を付けたもので、三即一、一即三と云われる原理より見れば、法界平等で別に等差を立てる理由がない。

まして応身そのものに、他の二身を具有しているにおいてをやである。

法身報身を本具せない応身はないのである。

 

そうして吾人には法身も報身も実地に知覚し難いのである。

さればその知覚し難い法報二身によるよりも、吾人が明かに体験なし得る応身の仏陀による事が至当である。

且つその応身仏は前説の如く他の二身をも具有して居られるのであるから、応身仏を信ずることは一挙両得である。

 

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