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第36 - 仏教本尊の資格
以上現今我国に行われて居る、各宗の主なるものの本尊について見たが、甚(はなは)だ雑駁(ざっぱく)であって、仏教各宗に通じて、一つにきまった本尊は何もないのである。
一宗の中でも一尊にきまったものは、浄土門の各宗各派ぐらいのもので、それは阿弥陀仏即ち無量仏であるから本尊とならぬ。
それを無量寿仏とした所で、他方国土の主尊であるから、この国土の本尊とならぬことは、既に説明した如くである。
また題目本尊、法身本尊、菩薩本尊、明王本尊、自己仏性本尊等、諸種の本尊は、各宗各派各寺各堂などに属する個々の本尊であって、仏教全体の本尊ではない。
されば仏教の本尊となり得べきものは何であるか。
先ず仏教の本尊としては、少くとも以下の如き十徳の性格を具えたものでなければならぬ。
- 一、唯一 : この世界に稀有なるものであって、唯一でなければならぬ。
- 二、純美 : 見て毫も汚穢の念を起さしめず、無垢、清浄、純美の念を起さしめるものでなければならぬ。
- 三、荘厳 : 智慧の光明、慈愛の潤沢とで、万徳円満に荘厳せられるかた。
- 四、最勝 : 世にありとあらゆる天上天下の存在、即ち総ての人は勿論、諸々の神々より遥に飛離れて、最も勝れたるかた。
- 五、救世 : 世を導き、世を救う力を有せられるかた。
- 六、寂光 : その真正の不変不動、絶対寂静にして、平和の光明を有せられるかた。
- 七、実在 : 概念の結晶や、推究の理想ではない。神話的の自在主でもない。実際に歴史的に吾人人類に、実績を示されたる実在。
- 八、普遍 : 歴史的の一個実在にてありながら、宇宙間に普(あまね)く普遍する智徳であらねばならぬ。
- 九、合理 :
実相界中に行われる真理と一致して、研智、積徳、進歩、発達、向上の極(きわみ)に達せられたる実在であって、吾人の学び得べき道を有せられるかた。
- 十、解脱 :
根本的に総ての苦痛を消滅して、寂静、平和の自由自在楽を受けたるかたであって他の総ての者をして、その楽を受けしめんために、解脱の道を示す大意志の発現者ある。
かくの如き十種の大徳を具有せられる方を、実際に見出し得ることが出来るであろうか。
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