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第21 - 仏教全体の要素

然らば仏教全体の要素は何であるかと言えば、

この三つは仏教の構成に欠くことの出来ない最大要素であって、その中の一つでもなければ、仏教は成立しないのである。

恰(あたか)も五徳の三脚中その一脚を欠いても、立つことが出来ないようなものである。

 

凡(およ)そ宗教の全(まった)き資格としては、確定せられたる一本尊のあることは言うまでもない。そうしてその本尊は吾々人間が到達せんとする究竟の目的及び理想とせられるものでなければならぬ。

次にその理想目的に達するには、相当なる方法がなければならぬ。その正しい方法の確立が必要である。

ここに理想的目的が定(さだま)り方法が決定してもそれを実行して示す者がなければ、実際にはその目的も方法も表示する者がないこととなるのである。故にこの点から見ると、実行者たる人即ち僧伽(サンガハ)が最も必要なこととなるのである。

これを仏教にて僧宝と云い、その方法を法宝と云い、その理想目的を仏宝と云う。

これを世に三宝と称(たた)えて如来在世の当時より、仏教の三大要素として確定せられて居るものである。

 

ここに三宝の宝という語について説明せねばならぬ。

宝とは梵語にRatna ラタナと云う。その語基の義の如くに、西蔵訳dkon mchhog コンチョク即ち稀有最勝と訳して居る。

この語に六義あって、その説明は以下の如くである。

このような宝が、仏と法と僧との三つあるので、Triratna即ち三宝と云うのである。

 

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