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第105 - ウパーサカ僧

従来大抵の人はウパーサカを優婆塞(うばそく)と云って、役行者(えんのぎょうじゃ)に連想して行者かの如く思い、僧と云えば比丘僧の事と思い、出家の人のみを僧として、僧俗と云えば出家と在家とを意味することとなっている。

であるから、かなり仏教を研究した人でも、大方は従来用語の習慣に従って、僧とは比丘出家の事であるとしている。

 

過般(かはん)自分がウパーサカ僧として更生すると新聞紙上に広告した処(ところ)、或人々からウパーサカ【は】僧と云えるだろうかとの質問を受けたのであった。

これは余りに近く、多くの経典に出ておる普通の事で、却(かえ)って一般に看過せられているものと見る。

 

前にも説いた如く諸経において、比丘、比丘尼、優婆索迦(ウパーサカ)、優婆斯迦(ウパーシカ)を四衆として、一族の中に置かれておる。

この梵語はChatur sangha 四僧伽であって、僧は僧伽の略語であるから、四衆は四僧と云うのと同じである。

されば比丘僧と云うのが正しいと同じく、ウパーサカ僧と云うのも正しいのである。

 

そうして比丘僧とウパーサカ僧の相違は何であるかと云えば比丘僧は出家して具足戒を持つもので、解脱すれば阿羅漢となるのである。ウパーサカ僧は在家のまま三帰五戒を持って菩提心を起し、菩薩戒を持って悟(さとり)を開けば、菩薩となるものである。

そうして仏在世時代は比丘の悟った真理も四諦で、ウパーサカの覚った真理も四諦であった事は、既述の如く、鹿野苑における両者の化度の同一であったことを見れば明らかである。

即ち比丘僧の悟ったのは阿羅漢となり、ウパーサカの悟ったのは菩薩となったのであった。

されば釈尊時代には比丘僧の菩薩は一人もなかった。ただ菩薩は在家のみで、阿羅漢は出家のみであった。

 

ウパーサカは僧として葬式の引導をなし、或は祈祷をなし、或は法事の主宰をなすことが出来るかと云う者がある。

元来ウパーサカ仏教は釈尊立教の本主旨と、時代相応の実義とによって成るものである。

故にウパーサカ僧は釈尊の嘗(かつ)て実行せられなかった引導や、祈祷や、法事の主宰を行わないのである。

ウパーサカ僧の行為は、安心決定の根本、釈尊帰入の真実三昧から五戒実行に至るまで、自身の身語意業に表わし、以て向上菩提の実行を教うることを専らとするものである。

 

但し死人あれば、その死人の遺族に対して説法することと、また説法の代りに読経することも好い。

故人を記念する為の法事にも同じいのである。

ウパーサカ僧は、決して宗派仏教の比丘僧の如く、無意義なまた劇的な引導を渡したり、迷信鼓吹(こすい)になる祈祷など即ち釈尊の厳禁せられたことを行わないのである。

 

ウパーサカ僧は自家の日常の生活費を在家の産業、経営等によって求め、法の為(た)めに尽すのである。

また専ら仏教を宣揚するために、その生活の必要費を、その宣法の謝儀より受けることもある。

何(いず)れも正しい生活である。

 

またウパーサカの妻はウパーシカでなければならぬ。

その結婚式は仏前において、厳粛に実行せられるものである。

ただウパーサカは和合衆の実を発揮してその信条を同一にし、その実行を斉(ひと)しくし、その説法と行為とは一致し、以て社会腐敗の根源なる虚偽生活の総てを、何処までも撲滅し以てこの国土、この世界に真正文化の浄土を建立するに精進するものである。

 

さればウパーサカ僧となるには、如何(いか)なる事をなすべきかと云うに、まず初めに発心(ほっしん)することを要する。

その発心とは浄化向上の心を起すことである。

 

まず浄化の修行としては少なくとも三ヶ月間、秘密的に無報酬にて普通便所、共同便所、及び公共道路等の掃除をなし、また山間田舎の地において行路の妨害となるべき恐れのある物件を除き、道路の不浄物を洗浄掃除する等の事を為す。

かりにも主人ある家の便所を掃除して、食物などを受ける事を為してはならぬ。

ウパーサカ僧は密行(みつぎょう)無報酬行を尊重して、従来の罪業(ざいごう)を浄化するのである。

 

掃除に浄化の五功徳ある事は、一切有部(いっさいうぶ)毘奈耶(びなや)に仏説が以下の如く出て居る。

今これを訳して最後に掃除勧奨(かんしょう)の一句を添えて自他省誡(しょうかい)の資(し)に供える。

 

掃除の五功徳

 

家の内外を清くする 掃除に五つの功徳あり

  1. 塵(ちり)なき家の内外見て 自己の心を清くする
  2. それ見るほかの人々も 自ずと心を清くする
  3. 眼に見えぬ諸天善神も 清浄境を喜べる
  4. 規律正しき徳つめば 端正美相と変わるなり
  5. 清浄無垢なる天国に 死後は必ず生るべし

説かれし世尊は自らと 舎利弗などの大弟子と

共に祇園の内外(うちそと)を 帚(ほうき)や布巾(ふきん)で掃除せり

御仏(みほとけ)さえもみずからに 掃除せられしこと見れば

我等はいかで掃除をば 励(はげ)までそのまま居(お)らるべき

 

夜は身口意の三業瑜伽を以て、即ち身は禅坐し、口には実修七章の歌を歌い、意にその義を観じて、向上法の実修をするのである。

 

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