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第1 - 仏教とは何であるか

仏教徒は何であるか、これは現今では一大問題である。何故ならば各人の見る仏教はその宗派に依て異なるからである。

 

例せば法華経を依経とする宗派の人々は、同経を以て仏教の実経とし、他の諸経を以て権経として一乗即ち真実仏教は、本経に尽きていると主張する。

然るに浄土門に属する人々は、三部即ち無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経を以て、現代相応至極の妙典であって、これらの経典は他の諸経よりも勝れて、仏陀救世の真実秘密意を表された、唯有一乗法(ゆいういちじょうほう)即ち仏教であると宣言するのである。

けれども真言宗の人々は、これ等各宗所依の経典は何れも皆顕部のものであって、吾宗所依の大日経は密部である。即ち仏教中最勝無上の聖典で、即身成仏の秘法はただこれのみに存する。如来極秘の真実精神即ち大乗中の大乗義である仏教は、大日経を以て主とすると云うのである。

しかし律宗に属する人々は云うであろう。そのようないろいろな主張も戒律という実行があって、目的が達し得られるので、戒律は仏体の構成である。その仏体の構成なしに経典のみの主張は空想である。されば戒律を実修することは、根本仏教の要義であると主張する。

さりながら禅宗の人々は以下の如く宣言するであろう。総べて仏の説かれた経律論による各宗各派は、教内である。吾宗は仏心を教外に伝えた微妙の法門であって、直ちに人心を指示して、性(しょう)を見て成仏せしめるのである。これが頓速成仏(とんそくじょうぶつ)の真仏教であると。

このような主張が華厳宗にも、また小乗とせらるる倶舎成実の両宗にも、それぞれ相応したる主張を以て、自宗が真の仏意を伝えて居る仏教であると宣伝するのである。

 

このように各宗各派が自ら伝うるものを真なり優なりとして、他を貶下(へんげ)する実状であるから、何れが真の仏教であるかは甚だ不明瞭且つ不確実である。

 

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